お通夜は?供物は?〜葬儀に関するマナー集〜

お寺の葬儀

お寺の葬儀はとても荘厳で、重みのある儀式です。
葬祭センターで行う葬儀とは違い、本当に仏様がそばにいるのではないかという感覚になってしまうほど、素晴らしいものを感じる人も多いと思います。
最近では、お寺で葬儀を行う家庭は減ってきているようです。
葬祭センターの方が設備がよく、沢山人が入ることができるなどの便利さが良いので、お寺での葬儀が減ってきているようです。
足腰が悪くなってきているので、お寺の階段を登ることができないという理由も多いようです。
今後のお寺で行う葬儀は、檀家さんの声をしっかりと聞いて、みんなのお寺になるように努めていくべきだと思います。
檀家さん同士で協力し合い、信頼できる人たちなら、これからもお寺の機能を活かして盛り上げていくことはできると思います。
お寺での葬儀の有り難さを知ることで、利用者も増えていくことなのだと思います。
葬儀はとても悲しい儀式ですが、仏様の誕生というお祝いでもあるのです。
多くの人の時間を一人の仏様に費やすという、最後の施しと言われています。
人の時間を奪うことは重い罪と言われているのですが、この時だけは仏様に費やす最高の施しなのです。
また、葬儀という儀式を見て、私たちが感じないといけないことがあります。
人は誰でもいつか死ぬということです。
いつ死ぬかわからないから、今という時間を精一杯生きようという気持ちになります。
悔いのないように生きていくために、全力で生きていくという大切さと、命の重みも感じることができるのだと思います。
物事を雑にこなしてしまえば、雑な時間を生きたということになります。
そうではなく、どうせ同じ時間を生きるのであれば、愛と慈しもを持って時間を過ごしたいものです。
考え方一つで、どう生きたかが決まってしまうのが人生です。
だから自分に偽りなく一生懸命な自分を貫きたいと思うはずです。
葬儀から学ぶことは多く、ただお世話になったから参列するのではなく、仏様の最後の声を聞きに参列するのだと思います。
また、最後の別れを言いに行くという人情ある式なのではないでしょうか。
葬祭センターではなく、お寺で行う葬儀だからこそ感じることができるものなのだと思います。
お寺を大切に思う事ができる人は仏様を大切にできる人なのだと思います。
また、仏様を大切に思うことができる人は、自分を大切にできる人なのです。
単に檀家だからお寺で葬儀を行うという感覚ではいけないと思います。
これからのお寺の取り組みや檀家さんの応援によって変わることができると思います。